今日は

映画『DEATH NOTE The Last name』を見に行ってきたですよ。

つーことで以下ネタバレあるから注意だよッ!!




あ、ちなみに前編はTV版しか見ていないのであしからず。

オチから見ていくと、まぁアリですよね。ライト一人勝ちENDとか、ライト一人勝ち後に
寿命で死亡(事故死とか)も見たかったりするんですが、やはりエンターテイメントとし
て、悪の主人公は裁かれぬばならないわけです。子供もかなり見に来てますしね。


でまぁ、感想なんですが…あくまで「原作」を原作として映像に変換してるんだなぁ、と
感心しました。「第三のキラ」とかいって、結局は「Xキラ」だしなあw
最後に名前を書かれるのもライトだし、偽ノートが鍵になるのも同じ。
リュークやレムのCGがいいのもあるし、原作知ってると結構楽しめるよね。
ただ、原作を知らない人間にはどう見えるのか、が気になりました。

まず、リュークのノートにミサが触るシーンはもちろん、会話するシーンてなかったよ
ね?なのにノートを掘り出したときにリュークと仲いいのは違和感あると思う。しかも、
ライトとミサの最初のやりとりだけだと、ライトが自分のノートを触らせるとは思えない
んだよなぁ…。
でも、記憶戻るわけだし、触ってるはずなんだよなぁ…。


また、レムがL・ワタリを殺すまでの流れ、あれだけだと原作知らないと、「なぜレムは
ライトを殺さないのか」と思う気がする。映画ゆえなのかもしれないけど、説明不足多い
んだよね、心理描写が。レムがミサにそこまでいれ込む理由もイマイチわからないし。
あのL殺害シーンでは、レムがミサにとってライトがどれほどの存在になっているかわか
らないので、殺害しない理由がわからない。あれだったら関係者全員殺した方が早いん
じゃ…(もっとも、40秒以内だから、あの場の三人くらいしか無理ですが)。


また、リュークがノートにライトの名前を書く動機もイマイチ。原作では、ライト死ぬま
で監禁→んなの退屈めんどいから殺す、だったけど、映画じゃ追い詰められて自分にすが
る→期待外れ、な流れだったからね。死神だからまぁ理由なんてそんなものなのかも知れ
ないけど…。


原作知ってるとあまり気にならないけど、知らなかったらこう見えるんじゃないかなぁ…


あとあまりに不自然なのが、大学でミサ来る→野次馬集まる→ミサ帰る→即解散→大学内
でミサ拉致は不自然だろw
ミサがライトと付き合ってるって言ってみんな驚いてるのに、話かけたりしないですぐに
解散は不自然すぎでしょw
しかもあれだけ人いるのに階段降りた先で拉致ってw


あの辺りは実写でやられると面白いね。ひょっとこがいいってのもあるけど、ライトがミ
サに電話→Lが出る→二人見つめ合うはなかなかマヌケでしたw


そしてLのデスノート無効化トリック。や、トリックでもなんでもないんですがw
個人的には、Lは生き残って勝利して欲しかったですね。
でも、Lの自らを犠牲にしてまで悪を暴く姿勢は凄い。あれでライトがキラじゃなかった
らどーすんだよ…とも思いましたが…まぁ彼には確信があったわけですね。


そしてLはキラに勝つのは無理なのか、とも思いました。頑張って相打ち。でも相手が命
を賭けるどころか、捨てるとはキラきゅん…じゃなくてライトも思いもしなかったわけで
す。


それほどまでして悪を許さない、という姿勢を訴えたかったのかな…。


で、ラストシーン見て思ったけど、ミサだけ原作と違って幸せになった印象は受けまし
た。や、もちろん夜神パパは死ぬどころか生きてますが、息子がキラだと知り、死ぬとこ
ろを見て、その事実を家族に隠して生きていくわけですから、つらい人生になるでしょ
う。

一方ミサは、原作では自殺しているのに対し、映画ではライトがキラだと知らないまま生
きてるわけですから…ってアレ?ミサって記憶なくなってるんだよね?


ちょっと整理しよう。
ライトのノート→ミサへ→偽者とすり替えてLが使用。
ミサのノート→夜神パパが確保、所有権はライト。
リュークのノート→リューク所持
レムのノート→レムが焼却。


あれ?でも、なんでリュークは、ミサが持ってきたニセノートに触れてリューク見えたんだ?
ここおかしいよね。
で、ミサはラストで記憶ないっぽいんだけど・・・あれはどうしてなんだろう?
原作では自殺したらしいけど、考えられるのは、ライトの死を眼前で見る→自身で所有権放棄=悲しい記憶を消すため。一度記憶を消してもライトへの愛は変わらないことを体験してるしね。これかな?所有権云々はノート燃えたから、放棄しない限りそのままだよね。
あ、ラストで通常人間界に来てはいけないはずの死神、つまりリュークが東京にいたのは、そのままミサについてるからとか?もちろん、リュークは面白くないだろうからそんなことはしないだろうけど。となると、やはり所有権を放棄したのが適切なのかな。


でも、そうだとして考えると、彼女が一番幸せなのに変わりはないんだと思う。うんうん。
まぁ、ノートの設定とかが違うから、他の要因があるのかもしれないけど・・・確か原作では、自分の名前を書いても効果がなかった・・・んだよね。


あと、色々感想見てて知ったんだけど、「なぜ、前編でリュークはライトにノートをあげたのに、後編で自分のノートを持っているのか?」がわからないってのを見た。そういえばそれの説明もなかったような・・・。


他にも、やはりあの描写だと、原作未読の人は、「レムがワタリを殺す理由」もわからなかったらしい。こういう重要部分の説明が抜けてるんだよね、映画。原作読んでればやはり問題ないと思うんだけどさ・・・。


原作未読で見た人は、見たあとに原作読破→映画再観賞すると、また違った面白さがありそうだね。
あ、ちなみに前述の考えいくと、リュークがノート所有者についていない限り人間界にいるのってヤバイんじゃないか!?


まぁ、映画としてはあの終わり方(真相を知っている人・知らない人登場→死神が笑いながら飛び回る)としてはいいと思うのであんま気にしてないんですけどね。
他にも、またリュークがノートを誰かに渡すところで終わるとか、映画らしい終わり方も期待してたんだけどなぁ。そっちのほうが批判されそうか。


「映画=正史」みたいに書く人もいるみたいだし、そういうのは個人の自由だと思うけど、個人的には「映画は原作を知っている上で楽しむことのできる正史の派生」か、「原作未読者のデスノート入門編&原作読破後にもう一度楽しめるもの」って感じでしょうか。わかりにくいw


とりあえず次は「SAW3」見ないと・・・「1」しか見てないから「2」も見ないといけないんだけどね!映画館で「1」見たときは、最後の5分間くらいは引き込まれまくりんぐ。あのラストは衝撃でしょでしょ!?


ちなみに、某ローゼン同人にSAW1のネタが使われてて吹いた。舞台=おじじの家 オトコ二人=双子 死体=おじじ ジグソー=水銀燈っておいおいw